COLUMN

これまでの道のり―中国との関わり

2000年 起業から3年

中国大陸の浮上

OEM生産の依頼を日本・インド・フィリピンを駆け回り小ロットでなんとか回していましたが、それぞれに問題が出てきました。

日本は価格です。お客さんの希望価格をクリアするには、使える生地や加工が制限される。インド・フィリピンは納期。生産自体がスローな上、納期が長い。また生地の色落ちや縮みなどの基準が日本と違い、品質管理も大変でした。

この頃から中国生産を考え始めます。中国には起業する前、1995年から行っていて現地の様子は少し理解していました。いよいよ中国か。

あえて茨の道へ

中国と言ったってどの工場で作るのか?知り合いに紹介してもらった日系工場や展示会で知り合った中国ローカル工場など何か所か訪ねました。

どこにしよう。

起業して3年あまり、吹けば飛ぶような小さい会社。独自のルートを持たなければ、大きな会社に負けてしまう。日系工場は日本語で仕事ができるので、他の会社でも容易に取引できる。でもローカル工場はそう簡単には取引できない。

ならば参入障壁が高い方を選ぼう。

と当時は思ってしまったのです。若さゆえの無謀。中国語と格闘する日々が始まります。

思わぬ展開

自ら選んだものの、ローカル工場での生産は不安が一杯でした。出荷の2週間前くらいから工場に滞在して生産を見守り(見張り?)、夜中まで検品してトラック積みまで見届けたこともありました。それでも商品に不良がみつかったり、納期が遅れたり、お客さんに頭を下げ続ける日々。

工場を変えよう。

でも小ロット多品種生産を受けてくれる所がみつかりません。

こんなに思い通りにならないなら、いっそ自分で工場作っちゃうか!

行き詰った末にこの発想の飛躍。今思えば経験がないからこその決断です。(つづく)

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